蛍丸復元プロジェクトの刀匠

皆さんは福留房幸刀匠をご存知でしょうか。
もし個人名に聞き及びはなくとも、2015年に大太刀・蛍丸の復元プロジェクトを立ち上げた刀匠と聞けば「ああ、あの人か!」と膝を打つ方が多いかも知れません。
福岡で生まれ育った福留刀匠は関市の刀鍛冶に弟子入りをし、2021年より関市・志津野(しつの)にて自宅を兼ねた日本刀鍛錬場を建設中です。
先日、この日本刀鍛錬場を訪れる機会に恵まれたのでその時の様子をご紹介していきます。

関市志津野の日本刀鍛錬場

関市志津野の日本刀鍛錬場
関市志津野に建設中の日本刀鍛錬場

周囲を山と畑に囲まれたところに福留刀匠の日本刀鍛錬場はあります。
古い工場兼民家を改修したもので、日本刀鍛錬場のほかに自宅を兼ねます。
大掛かりな作業は大工に依頼をしたそうですが、細かな改修は自分で楽しみながら少しずつ行っていると嬉しそうに語ってくれました。

工房としての機能

現在、機械ハンマーの土台づくりは途中まで進んでいるものの、小用に忙しくまとまった時間がとれないため続きの作業が行えないと頭を悩ませます。
炉もほとんど出来上がっておらず、この場所で鍛刀ができるようになるのは残念ながらまだまだ先のようでした。

それに対して、刀身に彫り物などを行う細工所はある程度できあがっています。
そのため現在では刀身彫刻などの依頼を主にこなす日々だそうです。
周囲を豊かな自然に囲まれ窓を開け放つと心地良い風が吹き抜けてゆく細工所で、梵字彫の様子を見せてもらうことができました。

「彫り物なら福留くん」

鍛刀の技術もさることながら福留刀匠の彫り物の腕には定評があり、関市に住む鞘師や塗師などの拵職人は「彫り物なら福留くん」と口を揃えます。
この日見せてもらえたのは脇差に梵字一文字の彫刻。刀身についてしまった小さな小傷を隠すための依頼を受けたそうです。

彫刻する梵字は大日如来を表すもの。これさえ書いておけばどんな仏も表せるという万能な意味があります。
刀身にマスキングをして朱で下書きをしたのち、タガネをつかって梵字を彫り込んでいきます。
「場合によってはやりやすい方向や順で彫るけれど、基本的には筆順にならって彫ることが多い」と福留刀匠。

志津野刀の完成を待ちわびて

自身のWebサイトは立ち上げているものの、もう何年も手がつけられていないとのこと。
それでもさまざまなルートから次々と仕事が舞い込んでくるのは福留刀匠の技術の高さの証明といえるでしょう。
「現時点(2021年6月)では鍛刀環境が完全でないため依頼をいただいてもだいぶ待っていただくことになる」と申し訳なさそうにする福留刀匠ですが、もし興味のある方は同WEbサイトをご覧ください。
もしくは刀部へご相談をいただいてもお取次ぎさせていただきます。

Webサイト:福留房幸日本刀鍛錬場

これまでの歩み

  • 一般社団法人 蛍丸記念刀剣文化遺産伝承会 代表理事
  • 弓馬術礼法小笠原流 歩射紫二本継指免許
  • 弓道 錬士五段
昭和60年
福岡県福岡市生まれ
平成15年
福岡県立福岡中央高等学校卒
在学中に大庭利男鍛冶師の仕事に感銘を受け鍛冶職を志す
平成17年
二十五代藤原兼房日本刀鍛錬場入門
平成22年
文化庁より作刀承認を受ける
平成23年
独立
平成27年
米国エール大学ピーポディ博物館サムライ展に協力、講演
一般社団法人 蛍丸記念刀剣文化遺産伝承会設立
平成29年
阿蘇神社へ有志とともに房興との合作大太刀「蛍丸写」を奉納
関鍛冶伝承館へ有志とともに房興との合作大太刀「蛍丸写(影打)」を寄贈
平成30年
岐阜県博物館兼定展に協力
令和元年
岐阜県博物館幕末美濃の剣豪と名刀展に協力
令和2年
熱田神宮へ有志とともに剣を奉納