御物 短刀 銘 吉光(名物平野藤四郎) 写し模擬刀身

御物 短刀 銘 吉光(名物平野藤四郎) 写し模擬刀身

鎌倉時代の名工・藤四郎吉光作の短刀「平野藤四郎」の特徴をできる限り再現した写し製作の模擬刀身です。
平野藤四郎、厚藤四郎、岩切長束藤四郎いずれかの写し製作をご相談いただき検討した結果、模擬刀の製造に用いられる素材や技術などがもっとも応用しやすく高い再現度が望める平野藤四郎の製作をご依頼いただきました。

製作を担当した職人は刃渡り・身幅・重ねなどの法量をつぶさに調査。このような写し製作では各部位の数値だけを同じにすれば良いというものではなく、雰囲気や印象の再現にも重点が置かれるので膨大な資料からさまざまな情報を入手し製作に活かします。製作の前段階でも非常に多くの時間を費やす必要があるため、長期の製作期間をいただきました。

直刃調で小丸に返った刃文刀樋のかたちもうまく再現されています。

茎には藤四郎吉光の手クセを模した銘を切りました。目釘穴も本歌同様に瓢箪形を1穴。錆を模した黒染も良い雰囲気を演出しています。

三つ棟は切先方にゆくにつれて間隔は狭くなり、最終的に庵棟のように収束します。模擬刀身の製造ではどうしてもバフ研磨と呼ばれる最終工程が必要です。このバフ研磨では角(かど)がダレてしまいやすいため、三つ棟とするには大変な技術と苦労があります。

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ハバキはご依頼者様のご要望により、銀地の一重ハバキ庄内藩のお国振りです。刀身の三つ棟に合わせてハバキの棟も台形に整えられました

平野藤四郎とは

平野藤四郎(ひらのとうしろう)は、鎌倉時代に作られたとされる日本刀(短刀)である。皇室の私有財産(御物)であり、宮内庁侍従職が管理している。

鎌倉時代の刀工で粟田口則国あるいは国吉の子とされる藤四郎吉光により作られた短刀である。藤四郎吉光は、山城国粟田口派の刀工のうち最も著名であり、特に短刀や剣の名手として知られていた。本短刀は、吉光の他の短刀と比較しても大振りで、同工の特色がよくでており、同工の作刀の中でも抜群の出来と評されている。また、『享保名物帳』に記載される名物でもあり、本阿弥氏が纏めた控帳を原本とする写本には吉光の項の第一に記載されるものがあることから、吉光の短刀の筆頭として扱われることがある。

平野藤四郎の名前の由来は、木村重茲が摂津の商人・平野道雪より金30枚で入手したと伝えられていることによる。『享保名物帳』によれば、木村重茲はこの短刀を1分摺り上げて豊臣秀吉に献上し、豊臣秀吉は前田利長に譲り、さらに前田利長が秀吉に献上し、1617年(元和3年)に秀吉が前田利常に譲り、以後加賀藩主前田家に伝えられたとされるが、当該内容には一部誤りがあるというのが現在の通説である。

平造り、三つ棟。地鉄は小板目肌よく約み地沸付く。刃文は小沸出来の広直刃が冴え鋩子は小丸となる。茎は1分(約3mm)区送りの生ぶ、栗尻、目釘穴は瓢箪型が一つ、その下に「吉光」の二字銘を切る。刃長30.15センチメートル、内反、茎反なし、元幅2.85センチメートル、元重0.82センチメートル、茎長11.67センチメートル。

Wikipedia

製作内容詳細

※表示する価格は受注当時のものです

価格
120,000円台
刀身
平野藤四郎写し(亜鉛合金削出)
ハバキ
銀地一重ハバキ、庄内

お客様の声

素晴らしい出来栄えです。
事前調査をしてからの着手と難易度の高い工程を技術力を発揮して良いものに仕上げて下さったことに感謝致します。
実物は写真よりもっと良く、手に取って見れば妥協のない作り込みであることが伝わります。
大事にしたいと思います。ありがとうございます。

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