居合刀のルーツは四国?

現在居合刀(模擬刀)は、日本国内のみならず世界中で広く使用されています。 また有名な刀剣を模した模造刀もたくさんの人たちに楽しまれてきました。

これらの模造刀剣類(※1)は、いつからどのように製造が始まったのでしょうか。

※1 非鉄金属でできた刀剣類を指します。居合刀(模擬刀)も観賞用の模造刀も含まれます。

模造刀剣類のルーツについては、以前に関市の職人から聞いた口伝があります。それによれば、

もともと模造刀剣類は四国のどこかで発祥したものの産業として軌道に乗らず、その着想を誰かが関市に持ち帰って製造が始まり、それが広まった
ということです。さらに
刀剣を製造するには刀身だけでなく外装をつくる各種の専門職人も必要になるが、四国ではその環境がなく、関市にはそれがあったから成功したのだろう
と続く内容でした。

この口伝がどこまで真実なのか裏付けをとるべく、高齢者を中心に多くの人に聞いて回っても、皆、首をひねるばかりでした。
そこで関市の図書館に行き産業関連の資料を調べてみると、昭和の中ごろから”美術刀”という生産品目が増えていることに気づきました。 日本刀(真剣)を美術工芸品として捉えた記載かとも思いましたが、日本刀は”刀剣”という生産品目で別途記載されており、すぐにそうではないと分かりました。

そこで美術刀の”美術”がいわゆるアートではなく、舞台の大道具・小道具などに代表されるような外観を整えるという意ではないかと推測し、模造刀剣類を美術刀という名称で分類しているのではと仮定してさらに調べたところ、ようやくそれらしい情報を見つけることができました。

美術刀の起こり

古写真風 居合刀
イメージ写真

関市の史料である「関市史」では、昭和30年に日本刀を模した美術刀という製品に使用する材料や加工方法が検討され、製造が始まったと記録しています。

昭和三〇年(1955)のはじめに、東京の商社より、拵え付き日本刀が関市のある人物のところへ持ち込まれ、この美術刀の生産加工が依頼され、使用する各種部品の使用材料と加工方法を検討し、製造加工が始められた。~中略~
昭和四〇年ころから太刀が生産され、海外へ輸出されるようになり、主にアメリカ・ドイツ・イギリスなどへ多く出荷され、他に生産加工企業もできた。

関市史 刃物産業編

安全のために折れる刀身

古写真風 刀身
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また、刀身は真鍮製から亜鉛合金製に変更されており、その理由として防錆性と安全性が考慮されていたことが分かりました。美術刀を使って物に斬り付けても刀身が折れることで対象物を守るという理念は、自動車をはじめとした乗り物の安全性確保に通じるものがあります(クラッシャブルゾーン)。くわえて当時から高い美観を保つよう考慮されていたようです。

当初の刀身は真鍮材を使用し、研磨したニッケルとクロムによる二重メッキを行っていたが、コストが高く付くので、亜鉛合金を使用し、最終仕上げは防錆力を考えて、銅、ニッケル、クロムメッキの三重メッキを行った。この刀身を造る条件として、物を斬った場合に折れる事を考えてこの材料が選ばれた。

関市史 刃物産業編

刀装具のつくり

古写真風 鍔
イメージ写真

刀装具のうち縁頭と目貫は現在と同じように鋳物が用いられましたが、鍔はそうではなかったようです。プレスか、かんたんな図柄の鍔を職人が製作していたのかも知れません。

刀装具として必要な、頭・目貫・縁金物は、真鍮鋳物に金メッキや黒染めを行い、鐔は鉄材に黒染めを行い、花模様などの象眼を入れて金メッキが行われた。

関市史 刃物産業編

柄のつくり

古写真風 柄前
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美術刀の柄下地がどのように製造されていたか記録を見つけることはできませんでした。柄巻や柄地(鮫皮)などは現在の模造刀剣類の事情とほとんど変わりません。

柄巻きは、従来の加工方法によったが、使用材料は、綿・人絹・本絹などを使用し、中に入れる鮫皮は、コストを考え、鮫皮およびビニール材により、類似加工したものを使用した。

関市史 刃物産業編

また、美術刀は日本刀と同様に分業制をとられていたことがわかります。

各種部品加工は専門業者に依頼されていた。

関市史 刃物産業編

鞘のつくり

古写真風 鞘
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柄下地と同様に、美術刀の鞘下地がどのように製造されていたか記録を見つけることはできませんでした。鞘塗は早い時期からウレタン塗装に移行したようです。

鞘の塗り加工は、当初には本漆で加工されていたが、樹脂加工にても遜色なくでき、柄模様なども入れることができるようになった。

関市史 刃物産業編

居合刀は平成から?

居合家と居合刀
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製造当初は使用材料や製造方法が定まらず、それによって品質も一定ではなかったようです。品質が安定したのは平成以後と記録されており、ここで登場するものが現在の居合刀(模擬刀)ではないかと推測しています。

つまり、まず観賞用途を目的とした美術刀の製造が始まり、美観を保持しながら安全性の確保と製造コストの低下が図られ続け、それを利用するかたちで美術刀が居合刀に進化していったという流れが史料から読み取れました。

平成に入って需要が減少し、加工企業も次第に少なくなり、品質の良い高級品が安定した状態で生産出荷されている。

関市史 刃物産業編

美術刀の様式を振り返ってみると、製造当初は日本刀(真剣)の拵の品質に近くコストが高い製品であったことが分かります。 製造当時の美術刀をぜひ一度拝見したいものですね。

製造当初の美術刀の仕様まとめ
刀身
真鍮製、ニッケルとクロムによる二重メッキ
金具
鉄材および真鍮鋳物
従来の加工方法(茎合わせの柄下地と本絹の柄巻か?)
本漆塗り